1981年公開の映画に『ウォーゲーム』という作品があった。この映画はダイナミックなシチュエーションと息をもつかせぬ電脳派アクションの連続で観る者をウォーゲームワールドへと引きずり込み、いざ世界全面戦争になりそうだというスケールのデカイ山場をチープな“五目ならべ”によって締めくくるという大胆かつ無謀なストーリ展開で観客達をひっくり返らせたことで有名だが、いわゆるハッカーを触発させたことでもまた有名だ。

 1981年のパピョコンといえばまだ8ビットが主流で、ちょうど第一次パチョコンブームのはしりになる。“パソ通”などという略語もまだなく、通信は音響カプラに受話器をガポリとはめこみ、耳を凝らせばプログラムが読めるんではないかと思えるほど超低速なビーガラガラ音で辛抱強いやりとりされていた時代。それも今のように商用ネットに接続するために使われていたわけでなく、いまでいうところのパワーユーザーやギークな人達が草の根や企業間などで使っていた程度で、日夜エロゲーの買い漁りに精を出しているようなスタンドアロンなパピョコンユーザーがもっていてもたいした利用価値もないものだった。

 そんな時代に封切られたこの『ウォーゲーム』は、それまでゲームのフラグ立てに快感を感じて悶えていた少年達や、フロッピーにかけられたプロテクトに執念で立ち向かっていた解析狂のような“ちょっとなにか物足りないパピョコンユーザー”を開眼させ、立派なハッカーとしての人生を切り拓かせるには十分な影響力をもち、この映画を観て「ぬぉ〜あんなこともできちゃってからに」と咽び感化された人達がのちのハッカー文明を築き上げていくことになる。なにせハッカーという言葉がイタズラ紛いのガキ的イメージを植え付けたのはこの映画にほかならない。少なくともこの映画公開以前に使われていたハッカーという言葉の意味合いはもっと崇高で技術者的なイメージが強かったのだ(もっともこの映画のセリフに『ハッカー』という言葉はひとこともでてこないが)。

 そんな『ウォーゲーム』だが、ラストシーンが五目ならべだからといって侮ってはイケナイ。サラっと挙げてみるだけでも、オートダイアラーによるナンバートレース、パスワードハッキング、ホストコンピュータのデータ改竄、オートロックの鍵開け、フリーキングと、ありとあらゆるハッキングの基礎テクニックがテンコ盛りになっていて、最近の映画にありがちな誇張された「いかにも」な演出もほとんどなく、実際にハッキングの手口として使えてしまう極悪な内容であるところが素晴らしい。16年前という時代背景を考慮するとなおすごいが、この作品以上リアルにパソコンオタクを描いた映画というのは未だにない。

 物語の冒頭に登場するオートダイアラーなどは、その後この映画の影響をモロに受けて立派なハッカーへと堕落していった人たちが実際に復刻し、配布し、今でもあちらこちらで手に入れることができるし、アース落しのタダ電などというのは実際に電話会社に対策を講じさせたオーソドックスなフリーキングテクニックでもある。さらにオートロックの開鍵の際に使われた“DTMFをカセットテープに録音して再現する方法”などは、カタチこそ違うもののさまざまなハッキングに応用されていて“ハックしたい対象の電話線にDATを噛ませて通話内容を録音しておき、のちに再生してパスワードの部分を抜き出す”という面倒臭すぎてジェームスボンドでさえ断りそうな手法が1年ほど前に出版された裏ネタ系パソ通の本に誇らしげに解説されてあったが、そんな手口は太古のデイビット君がすでにスクリーン上で堂々とやってるんである。

 いまでこそ携帯だの衛星ハックだのが話題になっているが、つい2〜3年前までのハッキングやフラッキングといえばパソ通ではパスハック、電話ならタダ電、とサルのように相場が決まりきっていて、もう10年以上も昔からされている古風な手口で世間は大騒ぎしているんだから技術の進歩というのは早いんだか遅いんだかわからなくなる。

Hacking's becoming kinda hard lately.